「ハイ(反抗期とか言ってる時期じゃない)エボリューション!!」

 

2005年テレビ放送されたアニメ「交響詩エウレカセブン」これを再編集、再構成したものが今月公開された「交響詩エウレカセブン ハイエボリューション」だ。
公開後、かなり賛否が分かれて非難の声が目立つように感じるが、筆者個人としてはかなり満足し、また思うところもありここから何故このような賛否が分かれることになっているのか感想とともに考察していきたいと思う。

 

・そもそもエウレカセブンってどんな作品か

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主人公の少年レントンが、宇宙から来た生命体スカブ・コーラルが人間とコミュニケーションを取るために生み出した人型コーラリアンエウレカと出会い恋に落ち、エウレカの所属する海賊船ゲッコーステイトのメンバーとして徐々に成長する「ボーイ・ミーツ・ガール」の物語であり、アニメでは珍しい当時のサブカルチャー要素とのミックスやスケート、サーフィンカルチャーを取り入れたヴィジュアルで人気を博した。

まず僕の「エウレカセブン」に対する立場は、テレビ本編を観てシリーズを好きになり、そこから後の「エウレカセブンAO」でゲッソリして、パチンコ版でのオリジナルストーリーを観て少し回復し、ネットで観た、本編を再び劇場公開する?!しかも再編集だけでなく内容もアップグレードする!?←イマココな感じ。
以前、2009年に劇場公開した「交響詩エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい」ではかなり大胆な改変、設定の変更で、パラレルストーリーとなった前劇場版は賛否が大きく分かれ、実際僕も映像単体ではそれなりに好きだけどテレビ版を意識してしまうとその大胆な改変に戸惑いを隠せなかった。

・ポケ虹との比較

内容についてここでは割愛するが、主人公レントンエウレカの物語にフォーカスして全く新しい物語をテレビシリーズの映像プラス新カットを再編集して作ったのが「交響詩エウレカセブンポケットが虹でいっぱい」である。
作り方にかなりの挑戦が感じられるこの作品では、新しく用意されたストーリーに既存のテレビ版の映像を使うにあたって世界観の変更の為に、また作画に合わせるための強引なキャラクターの性格改変をてしまったことで、既存のテレビシリーズのファンであればあるほどそこに違和感を感じ、戸惑ってしまう構造になっていた。
なので言い方とすれば、「再編集」と言うよりは「再利用」といった表現に観て取れるのも無理はないと思うものだった。。
(もちろん、良いところもたくさんあるんですがここでは割愛しますエウレカのデレが多いとか)
しかし今回のハイエボでは、この点に対しての配慮が見て取れるのだ。
それは、ストーリーラインはできるだけそのままにしてあくまで改変ポイントは細かいデティールに限ることである。
しかもこれは90分という尺で見せ切るための2つの演出を際立たせるためのものであり、既存ファンから見たとき極力そのギャップを感じさせない作りになっている。
また尺の都合のだけでなくその演出が「ハイエヴォリューション」の映画としての面白みにも繋がる魅力になっている!

 

・時間軸をチャールズ夫妻中心に展開

本作では、テレビシリーズ50話の内、24話までを描いているが、初めの新規カットを除くとほとんどが22話から24話までの時系列でしか話は進んでいないのだ。
その代わりに頻繁に時系列をシャッフルし、断片的にそれまでに何があったか(1話〜22話)をレントンのボイスオーバーで思い出のように語られる。
この事でどのような効果が得られるのかというと、単純に映画の尺を大幅にカットできるだけでなく、レントン一人称の物語であるということを全景化させるとともに、同じ内容を違う切り口で見せることで既存ファンはレントンの父アドロック・サーストン(見守るような)の視点から物語を見守るような目線、テレビ版を知らない人たちはレントンの目線で感情移入していくようになっているのだ。
このように時系列の楽曲をリミックスしているような編集アプローチが次に述べていく点で良い方向に働いているように感じた。
映画本編でもモチーフを「音楽」に寄せることをかなり初めの段階で大々的にキャラクターがセリフで宣言している。
こうした二重のコンテクスト性を持たせるために作品内の細かい設定が全てテロップでの説明が担っていたところはさすがにもう少し親切にした方がいいかなとも思ったが、個人的には大林宣彦監督の2012年の映画「この空の花 -長岡花火物語」のめちゃくちゃなテロップ演出を彷彿とさせてこれはこれで面白かったです。
今までのエウレカセブンシリーズの改変の扱い方と今作のハイエヴォリューション比べると、今まではただパンク精神で行ってきた改変が時代と失敗?を経て深みを増した大人の演出へと昇華されているのが今回のハイエボのすごいところだと思います。


・ヒロインとの出来事を描写しない

もう一つ、大胆な演出をこの作品は採用している。
この映画の中では主人公とヒロインやりとりをほとんど描写していないのだ。あくまでレントンの一人語りでぼんやりと好きな子に出会ってしまったんだろうな、そして青春の賜物で関係がこじれちゃってるんだろうな程度の範疇でしか描かれていないのだ。
これも上に書いたようにレントンのこれまでを描くことにフォーカスした結果のことなのだが、エウレカセブンはボーイ・ミーツ・ガールのエンターテイメントであるので観客はどうしてもそこが見たいと思っている訳なのである。
ここで、こうした見たいという欲望とそれに対する作り手の駆け引きとも言える演出が主人公の名前の元ネタにもなっている、今年4月に公開された映画「T2 トレインスポッティング」を引き合いに出したい。この映画も1996年に前作「トレインスポッティング」を公開して当時の熱狂的なファンが見たかった堕落していく様をそのまま歳をとったキャストでこの時代に見せることの難しさとそれでも見たい気持ちの駆け引きが描かれていた。
T2でも前作の映像が要所で1、2秒カットインして観客をまるで挑発しているようだったが、ハイエボの方では3部作になるということもあり、最後までお預けをくらう気持ちになります。
あと、エンドロール後の次回予告では、さっきまで見てた本編とは打って変わって新規カットしかなかったのでそのぶん期待が膨らみます。
エヴァをまた意識してるのかな?って感じでした。
ネットでは新規映像が初めだけでほとんど使い回しなのがつまらなかったと言った意見が見られるが、僕なら今までのストーリーを新しい作画で見せても、また他のアニメならそうしたかもしれないけれどそんな再編集の仕方をされても新しさを感じないし退屈な物に映るだろうと思いました。(僕はエヴァ新劇は序より破の方が好きでした)

 

・新規88点?古参120点

テレビシリーズファンの僕としては今回の大胆な演出で、内容はテレビ版とほぼ同じものを見せられていたにもかかわらず、時系列シャッフル演出が入るたび過去のテレビ版の記憶が脳裏に度々よぎりそれがプラスの方向にブーストしてくれたおかげで新鮮な映像に見えたし「最高」になれた。少なくとも僕と僕と一緒に観に行ってた友達は。
そして、ここからはあくまで想像するしかない領域なんですが、この「ハイエボ」からエウレカセブンに触れた観客たちも僕たちとは違う視点で、この演出からまだ見ぬエウレカの気配(テレビ版がやってきた壮大なスケール感)を感じながらレントンと同じ視点に立って楽しめたんじゃないだろうかと思います。(説明描写が親切ではありませんが、、、)
今回の劇場版は他シリーズには無かった既存、新参どちらも楽しめる配慮が感じられたので、「アニメはあんまり観ないけど映画は結構好きな人」の感想が僕的には結構気になってます。
そもそもそんな人は金払ってまで見に行かないだろう、って感じだと思うのでこの文章を読んでいただいた人が興味を持つきっかけになればと思います。(エウレカセブン見たことない人の意見が聞きたい!)